琵琶湖のほとりに一軒の靴屋があった。これは、その靴屋の店員たちの物語である。

第一夜 長靴

 島店長は昼過ぎからどこかへ出かけていた。おそらく駅前のパチンコ店であろう。「店長の事務所はパチンコ○○だから…」などと皆は言っていた。いったい、店長というものは、往々にしてそういうものなのだが、店に顔を出すことはまれであり、それゆえに店のトップたりえるのだったが、この店の店長、島真も、たいていの日は閉店時に姿を見せるくらいで、ほとんどを店の外で過ごしていた(もちろん、そうでないこともあったが)。それでも人柄がよいのと、経営者としての手腕が卓越しているのとで、全従業員の信頼を集めていた。

 4月も半ばを過ぎると日も長くなり、屋内にいることが、時としてはたまらなくうんざりさせられるものである。その不満を解消すべく、パートおよびアルバイトの一同は店内の一角に集まって、よもやま話に花を咲かせていた。客の姿は絶えて久しく、皆たいくつしていた。あまりにたいくつなので、どうしてエジソンはあれだけたくさんの発明をしたのだろうかと話し合っていた。はやくしないとドクター中松が出てくるからだという結論に達したとき、店の電話が鳴った。
 店長からすべてをまかされている長尾が受話器を取った。高校生アルバイトの一人、野上巌が「少し遅れる」と連絡してきたのだった。

 午後6時をまわったので、パートの堀育子と田山由美は帰宅した。アルバイトは、野上のほかに、佐藤俊夫という、日本語変換すると「砂糖と塩」になってしまう高校生がいた。学校は別々だったが、役に立たないという点で共通していた。ほかに島中和良という大学生アルバイトもいたが、その日は休みであった。
 6時半頃、野上が遅れてやってきた。彼は一種独特の、昆虫じみた奇怪な動作によって「インセクト野上」というあだ名をつけられていた。彼の体格はコガネムシのそれであった。そのため、彼の昆虫的な印象は、いやがうえにも高まるのであった。

 野上が入ってきたとたん、それまで半時間ばかり順調だった客足がピタリと止まってしまった。再び退屈との戦いが始まった。彼らは商品の整理と掃除をしながら、どうしてサンタクロースはクリスマスにしか現れないのだろうと考えていた。年中出てきてプレゼントを配っていると玩具メーカーに暗殺されるからだという結論に達したとき、一人の客が入ってきて、長靴を物色し始めた。ただちに野上が接客に走った。遅刻した分を挽回しようとしたらしかったが、皮肉にもその行為によって挽回は永遠に不可能になった。
 入ってきた客は、野上の高校の教師であり、野上はアルバイトの許可を得ていなかった。彼の学校ではアルバイトが厳しく禁じられ、許可を受けないでやっていると謹慎処分にすらなるのであった。接客相手が誰であるかを認識した野上の顔に恐怖の表情がはしり、彼を金縛りにさせた。次の瞬間、「お前、こんな所で何をしている!?」という怒号が店内に響き渡った。
 こうして店は野上を失ったのである。

 野上が去ってすでに半年になる。彼の記憶も皆の脳裏から薄れていく。そういえば、あんなやつがいたな。店に迷い込んできたカマキリを見て、長尾はふと、そんなことを思った。


これは ryecroft Advent Calendar 2018 1日目の記事です。